ささやかな話

好きなもののことばかり書こうと思います

Take Me Out to the Football Game

今週のお題「外でしたいこと」

 

すっかりインドアな人間になってしまったので、外でしたいことがなかなか思いつかない。

 

猫と一緒に家にいるのが楽しいのと、コロナ禍で家にいることに慣れてしまったのと、年をとって気力や体力が衰えたせいもあると思う(残念なことだ)。

 

休みの日には少し遠出もするけれど、行き先は映画館とか寄席とか、インドアなことが多い。

 

数少ないアウトドアな行き先にサッカースタジアムがあるけれど、それもけっこうハードルが高い。

 

数年前に引っ越してから、首都圏のどのスタジアムに行くにも1時間以上かかるようになってしまったし、駅から遠いスタジアムも多い。

 

いざ着いて試合を見ても、ピッチまでの距離が遠かったりして、とくに反対側のサイドだと何が起こっているのかわからず、うーんとなってしまう。

 

気候の問題も大きい。

夏は座っているだけで汗が止まらないし、冬は座っているだけだと風邪をひきそうになる。

ちょうどよい気温の日は年々減っている気がするし、気温がちょうどよくても天気が不安定なことも多い。

 

それでも応援しているチームが勝てばすべて良しとなるけれど、負ければ反省会をしながらとぼとぼ帰ることになってしまう。

 

サポーターの人たちは本当にすごい。

 

そんな感じで、配信で見ることがほとんどになってしまったけれど、せっかくのいい季節なので、たまには外に出ようと思う。

 

芝生の美しさとか、風の気もちよさとか、何を食べようか迷う楽しさとか、ビールのおいしさとか、選手たちの迫力とか、サポーターの声援とか、いいプレーが出たときの盛り上がりとか、

そんなあれこれを思い出しながら、今週末は埼玉スタジアムに行く予定だ。

 

ガンバ大阪が勝ちますように。

そしてなるべく雨が降りませんように。

 

前回埼スタに行ったときは0-3で完敗でした

伊勢のおじさんの赤福

今週のお題「あんこ」

 

職場で旅行のおみやげの話をしていたとき、「関西方面に行ったら赤福を買って帰る」と言う人がいた。

 

赤福は思い出の味だ。

子どもの頃、三重県伊勢市に住んでいた親戚のおじさんが、関東に来るときにいつも持ってきてくれたのだ。

 

おじさんは祖父の弟なので、正確には「おおおじさん」ということになるらしいが、父や母が「伊勢のおじさん」と呼んでいたので、自分もそう呼んでいた。

 

やわらかい方言で話すこのおじさんが好きだったし、赤福もおいしかったので、いつも来るのを楽しみにしていた。

 

ただし赤福の難しいところは、賞味期限が2〜3日と短く、かつ小分けがしにくいところだ。

 

おじさんはいつも20個くらい入った大きい箱を持ってきてくれるのだが、我が家は3人家族で、父も母もせいぜい2〜3個ずつしか食べないので、残りはすべて自分が担当することになる。

 

いくら赤福がおいしくて自分が育ち盛りだといっても、そんなに一気に食べられるものではない。

 

しかし、ご近所や友だちにお裾分けしようと思っても、餅がやわらかく整然と敷き詰められているので、あの独特のヘラを使って頑張ってみても、どうしてもエレガントに分けられない。

 

結局いつも、毎食後のデザートを赤福にして乗り切っていたような気がする。

 

自分が中学生のときに祖父が亡くなってからは、おじさんも関東に来ることがほとんどなくなってしまった。

赤福はおそらくそれ以来食べていない。

 

いつだったか、おじさんと母が電話をしていたときに自分の話になり、母が「あの子はいま寄席に行っているんですよ」と伝えたら、羨ましそうに「いいなあ」と言っていたそうだ。

おじさんと好きな落語家の話なんかもしてみたかったなと思うけれど、そんな機会もないまま、ずいぶん前に亡くなってしまった。

 

先日横浜に出かけたとき、ちょうど赤福の出張販売があるのを知り、懐かしくなって行ってみた。

 

残念ながら赤福はもう完売していたけれど、「白餅黑餅」はまだ在庫があるというのでそちらを買って帰った。

フォルムも色も似ているので、黑餅イコール赤福なのかと思っていたら、黑餅には黒糖が入っていた。

白餅は白小豆のあんだ。

どちらもなめらかでおいしい。

交互に食べ比べているとつい食べ過ぎてしまう。

 

整然と並んだ白餅と黑餅

 

「白餅黑餅」について調べたついでに、2個入の「銘々箱」というものがあるのを知った。

これならエレガントに配れるし、ひとりで少しだけ食べるのにも良さそうだ。

今日の良かったことを3つ思い出す

今週のお題「練習していること」

 

最近また気分が落ち込みがちだったので、お風呂に入ったときに「今日の良かったこと」を3つ思い出すというのを試している。

 

もともとは、アメリカの心理学者のマーティン・セリグマン氏が提唱した "Three Good Things Exercise" というエクササイズで、毎晩寝る前に「今日の良かったこと」を3つ書き出すことを続けると、幸福度が上がり、抑うつ度が下がるというものらしい。

 

メンタルケアの方法はいろいろ調べたけれど、調子の良くないときでもとりあえず手をつけられそうなのがこれだった。

 

自分の場合、とくにお風呂に入っているときに思考が活発になって、その日あった嫌なことや過去の嫌な思い出があとからあとから湧いてきて、お風呂を出る頃にはどす黒い気もちになっているという状態が続いていた。

どう考えても心身に良くなさそうだ。

なので、代わりに良かったことを思い出すようにして、お風呂から出たあとで書き留めておくことにした。

 

例えば、ここ3日間の良かったことはこんな調子だ。

 

水曜日

・不安定な天気だったけれど、お墓参りの間は雨がやんで日が差してきて助かった。

・家に帰ったら猫が迎えに出てきてくれてかわいい。

・いただきもののパンダバウムについてきた小冊子「パンダストーリー」がかわいい。バウムもおいしい。

・頭痛にならなかった。

 

木曜日

・在宅勤務なのでそれだけでQOLが上がる。

・猫が何度も仕事の邪魔をしにきてかわいい。

・頭痛にならなかった。

 

金曜日

・出社している人が少なくて静か。落ち着いて仕事ができた。

・仕事ではまっていたところが解決した。

・行き帰りの電車で座れた。

・家に帰ったら猫が膝に座りにきてかわいい。

・頭痛にならなかった。

 

こうして振り返ると単純なもので、猫がいて、頭痛にならなくて、落ち着いて仕事ができれば幸せに暮らしていけるような気がする。

それがなかなか思うようにいかないから困っているんだけれど。

 

「パンダストーリー」の寅さんみたいなパンダ

なんでもない猫の日

今年も猫と一緒に猫の日を迎えることができた。

 

毎年これだけたくさんの人がお祝いしているのだから、そろそろ祝日にすればいいのにと思う。

 

でも、猫の日は特別なことがなくてもなんだか幸せだ。

 

今日も朝早くから「ごはんごはん」とたたき起こされる。

もう少し寝ていたいので、「布団にお入り。あたたかいよ」と猫を誘いこむ。

猫のごろごろ言う音を聞いていると二度寝がはかどる。

 

しばらくして再び「ごはんごはん」とたたき起こされる。

ようやく起きてごはんをあげる。

 

ごはんを食べたあとの猫は、狭い家の中を熱心にパトロールする。

窓の外のチェックも怠らない。

 

こちらはあまり体調が良くないけれど、仕事に取りかかる。

在宅勤務の日で良かった。

 

すでに仕事を終えた猫はこたつでぬくぬくしている。

うらやましい。

 

昼ごはんを食べようとすると、こたつから出てきてふんふんと確認する。

サンドウィッチに魚が入っているのだ。

代わりにちゅ〜るを進呈しようと思ったけれど、昨日少しおなかがゆるかったのを思い出して控えることにした。

 

午後から徐々に体調が回復してきたので、粛々と仕事をする。

 

夕方、猫が再びこたつから出てきて「ごはんごはん」と言う。

 

ごはんを食べたあとは、こちらの膝の上にのっしりとすわり込んで仕事の邪魔をする。

しんどい打合せで気もちがささくれていたので、ありがたく邪魔されたままでいる。

 

夜ごはんは味噌煮込みうどんだったせいか確認には来ず、テレビを熱心に見ている。

テレビに飽きるとこちらにおなかを見せに来て「撫でよ」と言う。

 

こんな調子で今年の猫の日も終わろうとしている。

 

撫でられているうちに「違う、そうじゃない」となった猫



右に曲がろうとする意志

教習所でいちばんお世話になったE先生の話を書いたが、E先生以外にも、いろいろな先生からいろいろなことばをいただいた。

中でも、Y先生のことばは折にふれて思い出してしまう。

 

路上に出て3回目のことだった。

幹線道路の右折レーンの先頭で信号待ちをしていて、信号が変わって発進しようとしたときにエンストした。

急いでエンジンをかけ直そうとしたものの、あせって余計にうまくいかない。

結局、右折できないまま信号が赤になってしまった。

後続の車には先生が代わりに謝ってくださったが、いたたまれない思いだった。

 

その後も何度も失敗し、落ち込みながら所内に戻ってきて駐車したところで、先生がおっしゃった。

 

「甘木さんからは、右折のときに『右に曲がろう』とする意志が感じられない」

 

右に曲がろうとする意志

 

「君はなんとなくハンドルを右に切れば、車が右に曲がると思っている。そういう運転をしている」

「明確な意志と目的を持って練習しないと、君は絶対にうまくならないよ」

 

人生を全否定されている気がした。

何の自慢にもならないが、明確な意志と目的を持って何かをしたことはほとんどない。

 

くらくらする頭のまま、いつものカフェへ向かった。

教習所の近くにあって、よく立ち寄っていたカフェだ。

ほどよい広さで、いつもほどよく混んでいて、落ち着いて食事もできるし、ひとり反省会もできる。

 

おいしいごはんでエネルギーを補充して、お会計をしようとレジに行ったところで、なんと財布がないことに気がついた。

Suicaと小銭入れは持っていたので、そのときまで気づかなかったのだ。

 

弱り目に祟り目とはこのことか。

自分が悪いんだけど。

 

「すみません、財布を忘れてしまったみたいで……」とおそるおそる切り出すと、

「大丈夫ですよ、いつも来ていただいているんで、次の時でも」とスタッフさんがやさしく言ってくださった。

 

顔を覚えられているとは思っていなかったので驚いたけれど、とてもありがたかった。

 

少し時間をいただくことにして、ダッシュで家に戻り(幸いなことに財布は家にあった)、再びカフェまで戻って、平謝りしつつお会計をした。

 

あのカフェももうなくなってしまったけれど、あのときのスタッフさんがお元気でいらっしゃるといいなと思う。

 

ちなみに、その後の教習でY先生に再会したときには、先生から「甘木さん、覚えてますよ」と言われてしまった。

こっちは忘れていてほしかった。

 

結局、運転はうまくならないまま諦めてしまったし、明確な意志と目的を持った生き方もいまだにできていない。

教習所は出たけれど

運転免許証を更新した。

 

この5年間一度も運転しなかったので、当然ゴールドである。

 

免許を取ってから何回かは実家の車で練習した。

しばらくのブランクの後で運転が必要になったときには、ペーパードライバー講習も受けた。

しかしあまりにも向いていなかったので、完全に諦めて、いまに至る。

 

そもそも免許を取れたことが奇跡だった。

 

教習所で初回に受けた適性検査の結果が、こんなにも向いてない人っているのだろうかと震えるレベルだったので、ある程度覚悟はしていたが、実際に運転してみると、予想を上回る適性のなさであった。

 

こんな機会でもないとMT車なんて乗らないだろうしな、という軽い気もちでMT免許にしたのも間違いだった。

 

まず、半クラッチができなくて、教習時間を4時間もオーバー。

 

就職して数年経ち、部下もできて、ひととおりの仕事をこなせるようになっていた時期だったので、こんなにもできないことがあるということに、むしろ新鮮な気もちにすらなっていた。

 

そこへ救世主のように現れたのが、E先生だった。

 

助手席におさまるのか心配になるほどの大きな体で車に乗り込み、「教習中にあんまり無駄話すると怒られるんだけどね」と言いながら、安い居酒屋の話などして和ませてくださる。

コースを一周したあとで、「半クラッチってどういう意味だかわかりますか?」と、あらためてクラッチの役割を説明してくださり(そんなことも知らないでMT車に乗るなと当時の自分に言いたい)、何度エンストしても辛抱強く見てくださって、ようやく次の段階に進むことができた。

 

あまりに出来の悪い生徒だったので顔を覚えられてしまい、教習所内で会うと「調子どう?」と声をかけていただき、だいたいいつも調子はよくなかったけれど、「大丈夫!」と励ましていただいた。

 

その後も坂道発進やクランクでの切り返しができなくて何時間もオーバーしたり、路上に出てからも幹線道路のど真ん中でエンストしたり、全然大丈夫ではなかったけれど、力強い「大丈夫!」がありがたかった。

 

なんとか卒業検定までたどり着いたものの、車庫から出るときに脱輪して不合格。

 

その補習中、すれ違った教習車に乗っていたのがE先生だった。

「あー!」という顔をされたので、こちらも「あー!」という顔で挨拶した。

補習が終わってから「どうしたの? 卒検終わったんじゃなかったの?」と驚かれ、「実は脱輪して不合格になりまして……」と報告すると、「次は絶対大丈夫。頑張れ!」と励ましてくださった。

 

卒業検定は2回目でなんとか合格。

免許センターでの学科試験もクリアし、どうにか免許を取得することができた。

 

あらためてご挨拶に伺ったとき、「運転続けてくださいね。運転しないと忘れちゃうからね」と言ってくださったのに、先生ごめんなさい。

 

次回の更新もゴールドに違いない。

2023年の七味五悦三会

江戸時代には、大晦日に家族で除夜の鐘を聴きながら「七味五悦三会(ひちみごえつさんえ)」を語るという風習があったらしい。

 

今年はじめて食べたおいしいものが七つ、楽しかったことが五つ、はじめて会って嬉しかった人が三人あれば、「今年はいい年だったね」と喜ぶとのこと。

ささやかだけれど心豊かでいい風習だなと思う。

 

そのことを鴻上尚史さんのコラムで知って以来、個人的に振り返るようにしているが、いつもなかなか数を満たすことができない。

今年も数は満たせないが、振り返ることにする。

 

七味

今年はなんだかグミをよく食べた。

常に4〜5種類のグミを備蓄して、それぞれを日々2〜3個ずつ、前年比でいえば1000%以上食べていると思う。

毎日がグミパーティだ。

個人的なベストは、明治の果汁グミ温州みかん

最近では、カンロのピュレグミのとちおとめ苺スパークリングもおいしかった。

 

はじめての味ではないけれど心に残っているのは、このブログにも書いたスパ吉のミートソース

 

ちなみに、心残りは、井村屋のこしあんバーに出会えなかったことだ。

あずきバーの50周年を記念して発売されたこしあんバージョン。

こしあん派の自分としてはぜひとも試したかったが、数量限定だったのですぐに売り切れてしまったらしい。

 

五悦

なんといっても、猫との暮らし。

本当に、猫に日々助けられている。

 

毎週の楽しみだったのは、大河ドラマの「どうする家康」。

大河ドラマを最初から最後まで見たのははじめてのことだ。

戦国時代や家康公に思い入れがあったわけでもないし、主演の松本潤さんや脚本の古沢良太さんのファンというわけでもなかった。

たまたま第1回を見たから次も見てみるか、くらいの軽い気もちだったが、総集編まで見終えたいまとなっては「これがロス現象か……」という状態にある。

元気があれば、後日あらためて振り返ろうと思う。

 

そして、阪神タイガース日本シリーズ優勝。

リーグ優勝したときには、まさか日本シリーズまで優勝するとは思わなかった。

あんなに熱心に野球の試合を見たのもはじめてだ。

勢いで優勝記念グッズも注文してしまったし、Apple Music Replayで自分の今年よく聴いた曲ランキングを見てみたら、オマリーの「六甲おろし」が第2位だった。

うかれすぎである。

 

三会

新しい出会いはほとんどなかったが、職場の元同僚と10年ぶりくらいに再会できたのは良かった。

一緒に仕事をしていた頃は、よく飲みに行ったり、フットサルをしたり、フットサルが終わってから飲んだり、夏休みに高尾山に登ったり、下山してから飲んだりしていた。

つまり、だいたい飲んでばかりいた。

あの頃の彼はいつもにこにこ笑って、みんなによくいじられていた。

いまも変わらずにこにこ笑って、自分の話をしていても、他の人が話をはじめるとすぐに話題を譲ってしまって、それを楽しそうに聞いている。

ああ、この人はこういう人だったなと思い出して、あらためてしみじみと、いい人だなと思った。

 

猫は「今年もにぼしとかつお節がおいしかった」

 

能天気なことをひととおり書いたが、世の中はますます不安定で、心を痛めることも多い。

自分の身体とメンタルも不安定だけれど、来年も猫を大切にしつつ、穏やかに暮らしていけたらいいなと思う。