ささやかな話

好きなもののことばかり書こうと思います

人が死なないミステリ

落語に興味をもったのは、北村薫さんの「円紫さんと私シリーズ」がきっかけだったと思う。

 

大学受験に失敗して浪人が決まって、時間をもてあましていた頃だ。

人が殺されたりする描写が苦手で、ミステリはあまり読んだことがなかったけれど、「人が死なないミステリ」と紹介されているのを見て、読んでみようかなという気もちになった。

高野文子さんのイラストのすっきりした表紙にも惹かれた。

 

話の中に出てくる落語は全然わからなかったし、

「高座」を「たかざ」と読んで、「"こうざ"でしょ」と母親に笑われたくらいだけれど、

話はひとつひとつ面白かった。

日常のささいなことから始まって、でも終わり方は鋭く、隙をつかれたような気もちになる。

読んでいて、冬の空気の冷たさや、真夏の夜の静けさが伝わってくる。

落語家の円紫さんの人柄がまた良い。

小春日和のようにうららかで、しかも恐ろしいほどの観察力と記憶力を持っている。

 

電子書籍化されていないかなと検索していて、

コミカライズされているのを知って嬉しかった。

to-ti.in

 

タナカミホさんの𝕏(Twitter)でも1話読めるようになっている。

 

いま読み返すと、スマホもネットもない時代ならではのタイムラグやもどかしさがまた楽しい。

ちなみに、こちらの円紫さんは、自分の中のイメージよりもシュッとしている。

 

その後、自分は無事に大学に合格して、一般教養の落語の授業を取ったのがきっかけで、寄席や落語会に足を運ぶようになる。

8月のハッピーバースデー

この時期の個人的な恒例行事として、落語を聞きにいくというのがある。

国立演芸場の8月中席。

桂歌丸師匠が長年トリを取っていた興行だ。

 

はじめて行ったのはどういうきっかけだったのかもう覚えていないけれど、

ちょうど歌丸師匠の誕生日の8月14日だった。

出演者さんが舞台にケーキを運んできて、客席も一緒に「ハッピーバースデー」を歌って、みんなでお祝いをしたその空気があたたかくて、

それ以来なるべく毎年8月14日に行くようにしていた。

 

あの細い体で、晩年には酸素チューブをつけて高座にあがる姿が、見ていて心配でもあったけれど、

噺が終わる頃にはいつも、ただ、すごいなという思いにさせられていた。

 

歌丸師匠が亡くなって、その後を引き継いだのが三遊亭円楽師匠。

去年は脳梗塞の後の高座復帰だったので、トリではなかったけれど、

車椅子にすわったまま20分ほど漫談(主に歌丸師匠の悪口)をしていた。

出演者さんと、楽屋に挨拶に来ていた方もみんな舞台に呼んで、

歌丸師匠が生きていれば86です」と「ハッピーバースデー」を歌った後に、

「お盆だから」とお経をあげはじめたのがおかしくて、笑いながら泣いてしまった。

このまま回復して、また次の年から8月中席のトリを取るとばかり思っていた。

 

今年の8月14日のトリは三遊亭小遊三師匠。

厩火事」のお崎さんが愛嬌たっぷりでかわいらしい。

国立演芸場は建て替えのためもうすぐ閉場する。

再開場は2029年か、もっと長くかかるかもしれないとのことで、

「あたしはその頃にはもうやってないですけどね」

と笑っていたけれど、どうかお元気でいてほしいなと思う。

 

その頃に自分が何をしているのかさっぱり想像もつかないけれど、

変わらず落語を聞きにいっていると良いなとも思う。

はじめに

6月の末に、5日続けて仕事を休んでしまった。

最初はいつもの頭痛だった。

薬を飲んで安静にして、1日か2日もすれば治まるだろうと思っていた。

しかし、生活のリズムが乱れたせいか、頭痛はますますひどくなった。

そのうちにめまいがきて、胃痛がきた。

これはまずい。

 

横になって耐えていたら、一緒に暮らしている猫がそばに寄ってきた。

心配してくれているのかなとうれしくなって、がんばって少し体を起こしたら、トイレの後で猫砂を掘るように、私のおなかの下をざっざっと掘って去っていった。

猫はかわいい。

 

猫はかわいいが、体が不調なせいで、気もちも鬱々としてくる。

そもそも、体調が悪くなくても、普段からネガティブなことを考えがちな人間だ。

他人から言われてもやっとしたことば。いまだに納得できない過去の仕事。

大事なことはすぐ忘れるくせに、どす黒い思い出はここぞとばかりに溢れてくる。

そんな自分に嫌気もさしてくる。

 

比較的調子がよくなったタイミングで本を拾い読みしていたら、こんなことが書かれていた。

私たちの脳は、ポジティブとネガティブとを比べると、ネガティブなことのほうが記憶に残りやすい性質を持っています。

引用元:井上智介『この会社ムリと思いながら辞められないあなたへ』

なるほど。

だとしたら、ネガティブなことばかり考えてしまうのは自分だけのせいではない。

 

息苦しくなったとき、最初に試してほしいこと、それは「好きなこと、好きなもの」を思いつくまま、50個リストアップすることです。

引用元:井上智介『この会社ムリと思いながら辞められないあなたへ』

試しにリストアップしてみる。

猫。コーヒー。サッカー。間取り図。コンピューターおばあちゃん。…

そのうち、好きなものに引っ張られるように、ささやかだけどあたたかい思い出が流れてきて、自分でも驚いた。

通りすがりの人に親切にしてもらったこと。お世話になった先生にかけてもらったことば。

長い間忘れていたようなことも。

 

その後は低空飛行ながら、いまのところ大崩れはしていない。

再びしんどくなったときの備えとして、好きなことや好きなものを少しずつ書き残しておけたらいいなと思っている。