縁あって、数年ぶりに舞台を見に行った。
村上春樹さんの代表作『ねじまき鳥クロニクル』の舞台だ。
村上さんについては、
新刊の発売日に開店前から書店に並んだり、
ノーベル文学賞の受賞に備えて待機するほどの熱心なファンではないけれど、
特設サイトで読者からの質問を募集すると聞けばメールを送ったり、
都内でトークイベントが開催されると聞けば抽選に応募したりするくらいにはファンである。
(ちなみに、質問には運よく返信をいただけたものの、なぜあんなにくだらない質問をしてしまったのかいまでも後悔している)
舞台はすばらしかった。
演者さんたちの圧倒的な身体能力と歌声、変幻自在の舞台装置、厚みのある生演奏。
そして、あの長い物語をぎゅっと凝縮した脚本。
3時間弱、ただひたすら見入っていた。
ちょうど見に行く数日前に、出演者の方から残念な発言があったことを知って、
行くのをやめようか迷ったりもしたけれど、行ってよかったと思う。
それだけに、あの発言はいっそう残念でもある。
舞台を見てあらためて気づいたけれど、
村上さんの描く人物の、理不尽なできごとに対して、ひとりでもなんとか向き合おうとするところが好きなのかもしれない。
地味だし不器用だし痛い目にあうことも多い。
でも誠実だなと思う。
それと、村上さんの描く猫も。
村上さんが飼っていた猫や出会った猫の話はエッセイにも書かれているし、
小説にもたびたび猫が登場する。
読むたびに、猫の柔らかさや温かさを思い浮かべて幸せな気もちになる。
(ただし、猫がひどい目にあって読むのがしんどくなる小説もある)
『ねじまき鳥クロニクル』では、主人公と妻の飼っていた猫がある日突然いなくなり、
それからいろいろと不思議なことが起こりはじめる。
ある日突然うちの猫がいなくなったらどうするだろう。
それだけで話が終わってしまいそうだ。
とても耐えられそうにない。